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2017-12-12

生きる意味と:苦しみの関係性

こんにちは。おやすみなさい。
LRです。

そういえば、このサイト副題が「生きる意味をつくる」なのに、まだほとんど生きる意味について話してなかったので、書いてみたいと思います。

それで、今日ふっと思ったことがあって、今の僕って生きる意味が希薄なんだなぁっていうことでした。

生きる意味の根源を探っていくことも含めて、なぜ希薄なのかなぁっていうのを、人生振り返りつつ少し書いてみたいと思います。

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二十数年、苦しみ主体の人生

いろいろ振り返ってみても、僕は二十数年は苦しみが前面に出ていた人生だったかなと思います。

幼少期からずっと大運天中殺……という占いの話はさておき、

3歳の頃には両親に両腕引っ張られて親権の争いみたいなものがあって以降、家庭環境は良くなかったですし、社会的には何となくつじつま合わせていく一方で、苦しみにフォーカスしていた人生だと思います。

もちろん、誰もが苦しいことは抱えているのであって、相対的に事実部分だけを見れば最悪とまでは全然いかないと思うんですが、一人ひとりにキャパがあるという意味では、自分としては割とマックス気味に苦しんでました。

特に、僕の特性的に、

1の苦しみを想像で5-10まで膨らませてしまう

んですね。

例えば、僕が日本で生きている限り、戦争で孤児になることは99.9%ないだろうし、イコールの苦しみ(事実に基づいた量)を感じることもできません。

でも「それじゃいけない」って思ったんですね。

知るべきことはなるべく知っておかなければならない、それが僕に必要なことなんだと。

苦しんだ分だけ心を奥深くまで掘っていけるし、そこに感性の種も埋まっているし、人間理解も深まるし、実際に戦争に行くような勇気があるかは分からないけど、最低でも知って置かなければならないと、中学か高校ぐらいの時には思っていました。

それでどうしたかというと、自分の恐怖や苦しみの体験を心の中で肥大化させました。

1の苦しみを心の中で大きくすることで、出来る限り大きな体験にしていったんです。それが成長につながると思ったから。

思えば、もっと小さいころから感受性がキツかったみたいなので、方法論はすでにあったのかもしれません。

それを自覚的にやり出したのが、中学か高校ぐらいでした。

で、もうその癖が完全についてしまって、それを作曲の方法論にも結びつけて使っていました。(今でもたまに使います)

事実そのままの量の苦しみもたくさんあって、それを3倍とか5倍とかにしていくので、自分の中ではマックス気味だったという感じです。

なので、その二十数年の間は、苦しみ主体だったんだなぁと思います。

それで今振り返ってみると、

苦しみ主体の人生って、生きる意味に充実していた

ような気もするんですよね。

生きる意味というか、生きている実感かもしれませんね。

今、僕の中には「あれしてこれしたら、生きる意味つくれるよ」みたいな論理があるわけなんですが、たぶんそれをこの先ずっと続けるよりも、当時の方が生きている実感はあったのかもしれません。

いや、これ本当に不思議な感覚で、当時はほんとに離人症みたいに世界にリアリティがなかったので、とにかく生きている実感がなかったんです。

だから苦しんで、その苦しんだ人生を振り返ってみると、生きている実感があったような気がする。

今書いていて、相当不思議な感じだなぁと思います。

「青春でしょー」って言って片づけるのは何か違う気もしますが、『社会的な広がりは持たないけど狭まった範囲に詰まってる個の生命エネルギー』みたいな意味としては、青春でしょーの一言かもしれませんね。

ただそれだとつまらないので少し考えを書いておくと、たぶんもがいて苦しんでいたその状態は、生きる意味のX軸がマイナスに大きく触れていたんだと思います。

プラスもマイナスも本質的にはポジションが違うだけですし、どっちかに触れていると距離感って分かりますからね。

じゃあなぜ今は生きる意味が当時より希薄なの?って言うと、たぶん動じなくなっているんです。

生きる意味のX軸で言えば、ゼロ地点に近くなってるんですよね。

「年取ったでしょー」って考えもありそうですが、何でしょう、昔より自分の心のコントロールが上手くなりました。

昔はぐわんぐわんX軸上で振れていたのが、あまり動かなくなったのかもしれませんし、当時より心の俯瞰の高度が上がったのかもしれません。

これもめちゃくちゃ不思議で、人間って成長するにしたがって動じなくなっていくわけですが、成長すればするほど生きる意味を失うって変な気がしますね。

空の世界を知って「生きてる意味ないじゃん」ってなるのと本質的には同じかなと思います。

(そういえば、IoT人類退化説:モノのインターネットの危険性って記事で「人間って退化してるんじゃない?」みたいなことを少し触れつつ書いたんですが、人類が大きなマクロ視点で実は退化してるんだとするなら、ミクロな視点で悟って思考力成長するほど生きる意味を失うっていうのは、フラクタル的かもしれません。)

空の世界を知った上で生きる意味を作るなら、基本的には相互関係に生きる意味を見出していくわけですが、

それは個人的な実感より社会的な実感を伴うものなので、三大欲求みたいに直接的に満たされた感がなくて、かつ僕はその辺のアプローチもまだ弱いので、生きる意味が希薄ということなのかもしれません。

……それはさておき、「苦しみとかいろんな感情の動きって、生きる意味を作っていたんだなぁ」という感じがします。

感情の動き=生きる意味をつくる一つの方法論

だと考えてみてもいいでしょう。

相対世界の本質と同じで、絶対的ポジションではなく、感情の振れ幅が生きている実感を生みます。

何かが運動する時にエネルギー生むみたいな感じですよね。

それで、生きている実感でドーパミンか何かが出るので、「ドーパミンおいしいなー」って感じで、ドーパミン摂取するために生きているみたいな。

苦しみと生きる意味って、つながっていたんだなぁと今日は感じました。

LRでした。おやすみなさい。

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