日本政治を良くする3つの意見(森友や公文書改ざんの話を添えて)

こんにちは、LRでででです。

テレビも新聞もないのですごく弱々しいニュース環境の中で生きてる僕ですが、この頃よく目にする政治の話題があります。

森友問題とか、財務省の公文書改ざんとかの話です。

正直に言っちゃえば「いつまでやってんのかなー、もっとやるべきこといっぱいあるでしょ」って思いますが、
個別のケースはともかくとして『日本政治全体で見てこうした方が良くなる』って前々から思っていることがあるので、ちょっと意見を書いてみたいと思います。

日本政治を良くする3つの意見

森友や公文書改ざんを少し絡めながら、「日本の政治はこうしたほうが良くなるでしょ!」って個人的な意見を、3つに分けて書いてみました。

意見1:政治家はヴィジョンとルートを示そう(どんな政策でも「国民生活を良くする」最終ゴールに到達する政治)

何かずっと前から変わってないというか、年々激しさを増している気もするんですけど、「粗探しをして引きずり落として政権交代を目指す」そんな政治をいっぱい見てきたなーって思います。

森友学園の問題も、もうずっとやってますよね。
公文書改ざんは確かに大きな問題ですが、それは1つの個別のテーマであって、政治停滞を招いて良い理由にはならないはずです。
限られた時間で、もっと優先的に討論すべきテーマは他にたくさんあります。

で、僕の知りうる限り、政治家の最終ゴールって、国民生活を良くしていくことです。
そのゴール達成手段として、保守やリベラルといった、方法論の違いがあると思うんですね。

(字きたないな……笑)

だからまずは『ヴィジョン(こんな国にしたい)』を示して、実現の方法論として、その政治家の考え方に則った『ルート(具体的政策)』を考え、提示して欲しいです。

つまり、本人の考え方に基づいて、保守より・リベラルよりの方法論(政策や国の在り方)を示すということ。その方法論はすべて、国民生活向上のゴールに繋がっていなければなりません。

それが現実的に出来るか出来ないかではなく、真剣に考えた上で、まず提げることこそ大事ではないでしょうか。

「○○政権には任せられない」と言うなら、代わりとなる方向性と手段を示さなければなりませんが、そういった声が本当に少ないなと感じています。
もう、政治闘争のように物理的に闘ってた時代ではないですから、体当たりの反対だけでは支持は集まらず、あんまり意味ないと思います。

また、マニフェストなどでヴィジョンとルートは一応示されていたとしても、大して達成する気もなくて、形骸化してるパターンがすごく多い気がします。

与党の場合は、特定権力の声に応えるのではなく、まんべんなく意見を取り入れてほしい。政治は我田引水をする場所ではありません。
いろんな演出を加えながら、もっとも利益が得られる都合の良い政策を押し通しちゃう与党は、政治家の最終ゴールを見失ってます。

野党の場合は、少数派になりますから、声は通りづらくなりますよね。
では、舵取りしづらい野党は何をすればいいのかと言えば、それぞれの個別の問題に対して、その政治家の視点(保守・リベラル)で根拠を示しながら主張をし、国民の声をより反映した形に、政策をカスタマイズしていくことです。

野次飛ばすとか、カメラの前でパフォーマンスするとか、誰かを引きずり落とすために何かを演出するとか、とんでもないです。
何か別の目的があってジャマしているか、ただ反発したいと思われても仕方がありません。

あくまで国や政治家という形が成立しうる限り、与党も野党も、国民生活を良くするという最終ゴールに則って動いてほしいと強く思います。

意見2:政治のミスにそれなりに寛容になろう(政治家も国民も同じ心を持ってる)

公文書改ざんや賄賂など、政治家の問題っていっぱいありますよね。
そういったテーマが問題になるたび「民間でも、みんな普通にやってることじゃん」って、僕は思ってしまったりします。

つまり、賄賂=民間でやってる接待やコネと一緒だし、公文書改ざん=仕事のミスをごまかすのと一緒だと思うんです。

「政治と民間は一緒じゃないよ」って意見もあるでしょうし『政治家はクリーンであるべき』ってルールはそのままで良いと、僕も思うんですけどね。

ただ、そのルールは踏まえた上で、政治家も僕たちと同じ心をもった人間ですから、コネでの優遇やミスのごまかしは、起こらないほうがおかしいです。
だからある程度は仕方ないと諦め、寛容になったほうが良いと感じます。

接待やコネを許す『心のはたらき=f(x)の関数』であって、その(x)に政治という自然数を当てはめたら、絶対値として、大きなサイズになったみたいな話です。
大きさは違えど、本質の関数は同じことだと思います。

なので、公文書改ざんについては、国の信用に関わる問題だから重大ではありますが、鬼の首取ったように徹底追求するような話でもなく「ルールに則って当事者処分で終わり」で良いと個人的には思っています。

もしそれが許されないのであれば、民間での接待やコネも完全に排除すべきです。
政治家は国民の代表者なのですから、政治に完全クリーンを要求するなら、民間もクリーンであって初めて意見が言えるでしょう。

でもそんなじゃ疲れちゃいますし、資本主義自体グレーな部分もありますから、完全クリーンの方に合わせるのではなく、ある程度の寛容さは残しておいたほうがいいんじゃないかなあと考えています。

意見3:「あなたは大嫌いだけど、あなたの意見には賛成」って言えるようになろう(感情論に流されない)

「○○の言うことは全部ダメだ!」「○○党は悪だ!」みたいな主張がめちゃくちゃ多い気がします。
すごい大きな声でわめき散らしたり、カメラの前で象徴的なパフォーマンスをして、国民感情に影響を与えようとする政治家もいます。

なぜそういうことをするのか?と言えば、たぶん「効くから」なんです。

人間の脳には、感情を司る扁桃体と理性を司る前頭葉があって、感情的なパフォーマンスをするとミラーリングが働いて、扁桃体優位になります。

この扁桃体優位になると何がいけないかというと、理性的判断ができなくなってくるんです。理性を司る前頭葉の働きが抑えられるからです。

つまり、相手の意見に従いやすくなってしまいます。「情に流される」というやつです。

そのカラクリを分かって、あえてやってる人もいれば、何となく常識としてやっている人もいるでしょう。

でも政治がそれで良いのかと言えば、そんなはずはないですよね。
理性的判断ができない人が増えれば、それこそ集団心理のパワーで国が暴走し始めるのです。

だから、主張を判断する上では、感情的なパフォーマンスは参考程度にしておいて、理性的な主張の部分に重きを置いたほうが良いです。

そもそも民主主義の根幹って「あなたは大嫌いだけど、あなたの意見には賛成」っていう議論の基本的スタンスが取れること、意見と感情を切り分けて考えられることであって、そこをごちゃまぜにした政治は民主主義ではありません。

意見と感情を切り分ける意識と、そのバックボーンとなる筋道だった論理やデータを大切にすることが、今後民主主義の底上げを考える上でとても大切なことだと思います。

理想論にチャレンジすべし

この記事を書いていて思ったのは、日本政治ってまだまだ過度期だなあと思うんですよね。

国の歴史は長いとはいえ、本来の民主主義的にはまだまだ浅いですし、浸透しきってないところがあると思います。

かつては「日本型社会主義国」なんて言われましたが、現在は純粋な資本主義の影響力が強くって、よくわからない状態になってる気がします。

政治は国民生活を良くするためにあるって最終ゴールの理想論に立ち返って、日本なりの政治を行っていって欲しいものです。

まじめな話になっちゃった。LRでした、おやすみなさい。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2018 LR
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.