食事という不自然と潜在意識への刷り込みについて

LRでです。

さっき松屋で朝ごはんを食べてきました。

一時的にワンオペだったのか、すごく忙しそうなアジア系の店員さんと、徹夜明けの人たち、朝からどこかへ行くのだろうサラリーマンとかにまじりながら牛丼食べてたんですが、食べながらちょっと思ったことがあります。

「僕たちの食事って、すごく不自然だなー」ってことです。

どういうことかというと、料理として出来上がった状態でポンと出てきて、狩りをする必要もなければ、敵がやってくるのではないかと気を張りながら食事するわけでもない。

そんな食生活って、すごく不思議で不自然だなーって思ったんですね。

それだけならブログに書かないんですけど、もう一つ気になったことがあったので書きます。

現代の食事への違和感

そもそも人間の今の食生活、料理として出てきたり、スーパーに行けばお肉やお魚が売り物として並んでいたりすることって、すごく当たり前になっているけれど、生物の中ではとてもレアな状態だと思います。

野生の生き物はだいたい狩りをしたり、木の実を探しにいったり、あるいは何かに寄生したりとか、大きなリスクをとって命を維持しています。

もちろん人間にもそういう時代があって、原始時代はマンモス狩ってただろうし、現代でも戦争や飢餓で、食べ物に必死な状況は多々あるでしょう。

だからこの不自然な感覚はもしかしたら安定した国特有のものなのかもしれないけど、何だか違和感がありました。

その違和感が何なのだろう、と探っていけば、

食事をするたびに「食事は出てくるもの」と潜在意識へ刷り込まれる

ことに、違和感があったのだと思います。

つまり、狩りとか切った張ったしなくても、スーパーにいけばお肉として並んでいるし、レストランに行けばご飯が出てくる、みたいな経験を何度も何度も重ねるうちに、

「あ、食事って、お金さえ出せば与えられるものなんだなー」「命のやりとりじゃないんだなー」

って感覚が、潜在意識に刷り込まれていくってことです。

僕もたまに食肉産業の動画とか見てしまうけど、実際に命のやりとりが行われていること、現在の命のやりとりは過去の蓄積の上に成り立っていること、それは間違いないですよね。

ただ食事をするたびに、スーパーに並んでいるお肉お魚を見るたびに、無意識的に「ごはんは出てくるもの、スーパーにならんでるもの」ってのが刷り込まれていくわけで、それが毎回となるとめっちゃ恐ろしいなーと思うのです。

それで、僕が本当にゾッとしたのは、今までその刷り込みに気がついていなかったことです。

なぜ刷り込みに気がつかないことにゾッとするかというと、

無意識的な刷り込みにこそ誰かの意図的誘導が入りやすい

からですね。

たとえば、幼いころからテレビが身近にあれば、「テレビって本当にいるのかな?」って考える人は少数派だと思います。

今でこそネットが発達したのでメディアの変遷的な感じでテレビ無し生活も一般的になったけど、これが1980年とかだと変人に見られたかもしれません。

毎日テレビを見ているうちに「テレビがあるのは当たり前」という刷り込みが入って、疑いもなくテレビを買い替え続けるようになります。

じゃあ、テレビを見せるように刷り込んで得する人はだれだろう?って考えると、どこかに意図的誘導を見出すことができるかもしれないです。

それの大きなバージョンで、「ごはんは出てくるもの、スーパーにならんでるもの」って刷り込んだ時に何を見出すことができそうかというと、

食や飢餓感を使った行動のコントロール

にあるのかなとも感じました。

「お腹が空いた、どうしよう」って思った時に、刷り込み効果で狩りにいく発想が出てこないので、与えられたルートでしか食事を手に入れることができない、みたいな。

あとは、そのルートに「仕組み」を置いておけば良いってことですね。

でもまあ、それで享受できるメリットも当然のようにあるし、いろいろ分かった上で使っていくのは、トレードオフというかウィンウィンな感じでアリかなーとも思います。

常識を疑いつつ、自由な選択をして生きていきたいです。

LRでした、おやすみなさい。

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