作曲の原動力は三途の川だった話

こんにちは、LRです。

昨日の夜、ひさびさに歌モノを作ろうと思って、ばーっとラフっぽく録音してました。

それで、歌なので当然歌詞がつくんですけど、これがまた、ここで書きづらいような、暗い内容ばっかしか出てこないんですよね。

このブログ読んでる方はほとんど僕の曲知らないと思うんですけど、歌詞がだいたい暗いか、何か悩んでいたりします。

で、昨晩もそんな感じの曲を書きながら、「やっぱり僕の作曲の原動力は、ここにあるんだなあ」って思ったんです。

荒廃した三途の川にあばら家がひとつ

僕がまだ高校生のころから、ずーっと頭の中にある大切なイメージが一つあります。
それは、『赤く暗い空の下に流れる三途の川と、その横にある、ボロボロのあばら家』です。

どうも三途の川って僕にとって重要なものみたいで、生死の際で「行くか、行かないか」のような、その境目にいる歌がすごく多いんですね。

これが何を表しているのかな?と思うと、たぶんそこに本質があるからです。
「真理を観たい」っていつも思っているので、本質的なものに惹かれるのだと思います。

当たり前ですが、人間は生存欲求がありますから、生きるしぬの話になってくると、自分にとって一番大切なものが出てきます。

理性の殻を全部とってしまえば、「残った部分にある『何か』を見られるかもしれない」と心のどこかで思っているので、その分かりやすい形象として、三途の川が出てくるのだなあと。

ただ、もちろん三途の川みたいなテーマがいつも頭をよぎっていると、

ネガティブ方面に心を掘削する必要があります。

この記事ですこし書いたんですが、

人生飽きたなぁ、しにたいなぁと思う時。

僕がこれまで埋め立ててきた『マイナスの部分』を、また掘り返していくことになるわけです。

これはちょっと、つらいなぁと。

指を切って、そこから流れ出す血で、絵を書くようなものですから。
やりすぎると血がなくなってしにます。

ただ、本当に思うのは、

しみついたクセはなかなか変わらない

ということですよね。

僕は、大切なのは過去ではなく未来と思っているし、過去が未来を縛るとは思っていません。

この記事で書いたけれど、

今を生きるべきたった一つの理由

今ここを生きるのが一番、次いで、未来のイメージを作ることが大切だと考えています。

でもやっぱり、身体にしみついたパターンはなかなか脱出しづらいもので、
無意識的に出てきた歌詞はやっぱり三途の川だし、やっていることは、流れ出す血で絵を書いていることに等しいです。

「(無意識的に)やりたいことをやる」という意味では正解、でも電池がもつかなぁ、と思ったりもします。

そういえば気功って、ちゃんとエネルギーを取り入れる方法を知らずに出しまくってると、いずれ尽きてしんでしまうそうです。

僕の作曲も似たようなものだと思うので、定期的に何かエネルギーを取り入れる方法があれば良いのかもしれません。

そのあたりのヒントは、自然にあるのだろうなあと、今書いていて思いました。

何かとりとめのない話になってしまった……。
LRでした、おやすみなさい。

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